安威川ダムの必要性を考える
 インタビュー 徳島県木頭村々長(97年当時) 藤田 恵さん
藤田恵さん
木頭村村長(当時)
藤田恵さん

ダムに頼らない村めざす
 
ダムの「一時休止」と、予算ゼロという建設省の発表は、事実上の中止宣言やと受け止めています。ここまでこれたのは、木頭村が自治体としてダムはいらないとはっきり主張していることが第一です。ダム建設阻止のために、役場にダム対策室までつくりました。なぜそれができたのか。村内には、すでに那賀川下流に四国電力の小見野々(こみのの)ダム(68年完成)があり、村民は不利益をよく体感しているからです。小見野々ダムは、上流から流れてくる砂が計画の三倍もたい積し、村では何度も水害がおき、たい積した砂による砂ぼこりもひどい。過疎もすすみ、そのとき水面下に沈んだ小学校も移転したものの、すぐに廃校になってしまいました。ダムをつくる理由も崩れてきています。

崩れてる建設理由
 
建設省は、百年に一度の水害を防ぐことを理由の一つにあげていますが、建設省が推定している水害時の水量はべらぼう(毎秒一万一千二百トン)で、私たちも調べましたが、過去最大の水量でも毎秒九千トン(50年のジェーン台風時)で、そんなに大きな水量が那賀川で流れたことはないのです。さらに下流域への水の供給も理由にあげていますが、工業用水の取水実績は横ばいです。都市用水を考えても、下流域の人口は減ってきており、大規模な水の需要は見込めません。建設省は過剰な水の需要予測をして、国民を脅しているんです。こんなことをして、もうけるのはゼネコンだけで、まったくのムダです。

国道幅3メートルまるで酷道
 
一方で、国は村の生活道路でもある、水没予定区間の国道の整備はしません。山間をぬけて高知へ行く最短ルートなのに、いまでも道路の幅が三メートルほどしかないところもあるんですよ。まるで酷道です。ダムに反対していることへの報復措置としか思えません。いま、ダムに頼らない村づくりを目指した十年計画をすすめています。木頭ユズや林業の支援のため、村外から若い人がきて働けるように受け皿組織をつくりたい。第三セクターで、食品加工工場もつくりました。しかし、まだダムのことで手がいっぱいでなかなか仕事がはかどらない。早くダムの問題を解決しないとね。

村民のたたかい四半世紀
1968年 建設省がダムの予備調査をはじめる
71年 ダムに反対する住民組織・ダム反対同志会が発足
74年 ダム反対同志会が村内で総決起大会(約350人参加)
76年 木頭村議会がダム建設反対決議(以降、細川内ダム反対にかんしてあげた決議などは12回に及ぶ)
93年 ダム反対を鮮明にかかげる藤田恵村長が、政党では日本共産党だけの支持で無投票当選
同年 国の細川内ダム予算が「実施計画調査費」から「建設事業費」に格上げ。あわせて細川内ダム調査事務所も「工事」事務所へ格上げ
94年 村議会が、「木頭村ダム建設阻止条例」を可決
96年 97年度細川内ダム予算の「調査費」格下げが明らかに
97年 藤田村長が無投票で再選
同年 建設省がダム工事事務所撤去を決める
同年 建設省が細川内ダムの「一時休止」と予算ゼロを発表





Home Next
「安全を考える」トップへ | 「必要性を考える」トップへ | 地図 | 安威川ダム計画